近 世

佐竹氏が慶長7年(1602)にこの地を去ったのち、日立市域の領主は多少動きがありましたが、元和8年(1622)以降は明治維新まで水戸徳川家(水戸藩)の支配下にありました。ところで、日立市域の範囲は多賀郡と久慈郡にまたがって広いだけではありません。海沿いの村々、岩城海道に沿った村々、山間の村々、そして久慈川・里川流域の村々と多様です。これらは○○地方とひと括りにできません。近世の延長線上に日立市域が成立したわけではないことを意味します。そのような多様な地域の歴史の断片を拾い集めて紹介します。