近 世
佐竹氏が慶長7年(1602)にこの地を去ったのち、日立市域の領主は多少動きがありましたが、元和8年(1622)以降は明治維新まで水戸徳川家(水戸藩)の支配下にありました。ところで、日立市域の範囲は多賀郡と久慈郡にまたがって広いだけではありません。海沿いの村々、岩城海道に沿った村々、山間の村々、そして久慈川・里川流域の村々と多様です。これらは○○地方とひと括りにできません。近世の延長線上に日立市域が成立したわけではないことを意味します。そのような多様な地域の歴史の断片を拾い集めて紹介します。
- 日立市域の行政区画の変遷 江戸時代から現代まで
- 常陸国の海道
- 歴史の道 岩城海道 日立篇
- 一里塚
- 水田のない村
- 江戸初期、慶長7年から元和8年まで日立市域は戸沢氏領だった
- 北ハ水田に富、南部は陸田多く
- 光圀と斉昭の寺院破却
- 外からみた水戸領
- 里川は茂宮川に入るか
- 久慈村の渡し
- 四十八坂
- 大窪村と助川村の境論 慶長14年(1609)
- 暇修館
- 油繩子村
- 石川功 助川海防城跡出土の軒桟瓦
- 鈴木福寿 守子について
- 水戸領の魚が江戸日本橋へ
- 漁村の金融 宝暦・安永期
- 琉球国船が川尻に 文政2年(1819)
- 会瀬浜魚荷が抜荷を疑われる 文政11年(1828)
- 川尻浜五十集約定 — 魚仲買人規約 — 天保2年(1831)
- 宮田村の鯨一件 天保10年(1839)
- 河原子浜の魚はどこへ 弘化4年(1847)
- 河原子浜小又家の魚荷の送り先 弘化4年(1847)
- 史料 大久保鹿島神社の流鏑馬 寛文3年(1663)
- 史料 古文書学習会編 安藤朴翁「ひたち帯」 PDF版 元禄10年(1697)
- 史料 大久保鹿島神社の祭礼 明和2年(1765)
- 史料 天明6年の洪水 天明6年(1786)
- 史料 備中国の地理学者がみた水戸領 天明8年(1788)
- 史料 宮田・諏訪・入四間・助川村の怪異譚 寛政期(1789—1801)
- 史料 水戸領庄屋の東西論 寛政期(1789—1801)
- 史料 古文書学習会編 水戸領中御法度箇条秘書 PDF版 18世紀末
- 史料 相馬碑伝説 江戸中期
- 史料 大久保村地理諸訳下書 文化2年(1805)
- 史料 折笠村旧跡由来記録 文化2年(1805)
- 史料 助川村の石灰焼出一件 文化6年(1809)
- 史料 村と藩の福祉 文化15年(1818)
- 史料 古文書学習会編 文政十一年 大内達直 郷足軽海岸廻帳 PDF版 文政11年(1828)
- 史料 文書調査会編 東国太平記 PDF版 文政期(1818—30)
- 史料 古文書学習会編 水戸領鎮守神名附 PDF版 文政期(1818—30)
- 史料 石灰石と寒水石 江戸後期
- 史料 古文書学習会編 天保三年西国道中記 PDF版 天保3年(1832)
- 史料 古文書学習会編 天保十年 大内達直 年中日記覚 PDF版 天保10年(1839)
- 史料 伊勢国松坂の商人がみた水戸領 天保11年(1840)
- 史料 照山修理伝説
- 伝説1 福田芳湖「農政要略」 寛政元年(1789)
- 伝説2 石川桃蹊「桃蹊雑話」 寛政2年(1790)頃
- 伝説3 高倉逸斎「田制考証」 文化10年(1813)
- 伝説4 石川慎斎「水戸紀年」 文政10年(1827)
- 伝説5 長島尉信「戴水漫筆」 天保10年(1839)
- 伝説6 福地六兵衛「内調覚」 天保12年(1841)
- 伝説7 近代編 野口勝一「照山修理碑」・安達鑛太郎『多賀郡史』
- 史料 『文化六年 水戸藩郡奉行所 石神組御用留』日立市域関連記事表題 文化6年(1809)
- 日立市域の棟札一覧 『日立史苑 8 棟札特集号』より
- 史料目録 国立国会図書館蔵 水府志料附録目録 文化11年(1814)
- 天保十年 江水御規式帳人名索引—水戸藩家臣録— 天保10年(1839)
- 史料 弘化三年 水戸藩郷士書上 PDF版 弘化3年(1846)
- 史料 北郡里程間数之記 内容細目 安政2年(1855)