「さち」は多珂郡飽田の村から生まれた
常陸国風土記にある地名由来 日立篇

島崎和夫

「常陸国風土記」多珂郡の飽田村の条に、ヤマトタケルとそのきさきが山と海の獲物の獲り比べをする話がある(こちらに全文)。ヤマトタケルは野にいで、后を海に遣わし、このとき野の狩は、一日中かけわまり獲物をねらったが、一匹の獣もとれなかった。ところが海の漁はほんのわずかな時間でたくさんのおいしいものを手にした。そこでヤマトタケルが次のように語る(〔 〕内は割書。原文・読み下しともに、沖森卓也ほか編『常陸国風土記』)

[原文]

今日之遊、朕与家后、各就野海、同争祥福。〔俗語、曰佐知〕野物雖不得、而海味尽飽喫者。

[読み下し]

今日の遊は、朕と家后と、おのもおのも、野と海とに就きて、ともに祥福〔くにひとことばに、「さち」と曰ふ〕を争へり。野の物は得ずあれども、海のあじわひことごとくらひつ

現代の言葉にすると、次のようになろうか。

今日の狩と漁は私と后が野と海にでかけ、たがいにさいわい〔その土地の言葉でさちと言う〕を競いあった。野では何ひとつとれなかったが、海の食べ物は飽きるほど食べた。

風土記の編修者は、祥福に『 くにひと ことば に、「さち」と曰ふ。』と割書をしている。「さち」は祥福を意味するこの地方の方言だと風土記は言うのである。

とするなら、現代において「さち」が「幸」と表記され、しあわせの意味をもつようになったのは、8世紀初めに常陸国多珂郡の方言が『常陸国風土記』によってヤマト王権に伝えられ、その後一般化していった。つまり、さち=しあわせの発祥は多珂郡にあるということになる。

古語辞典の説明は

「さち」を『岩波古語辞典』(1974年刊 1989年第14刷)にあたると、次のようにある。

さち【矢・幸】《サツヤ(猟矢)・サツヲ(猟人)のサツ(矢)の転》
  1. 1 狩や漁の道具。弓矢や釣針。また、獲物を取る威力。「各(おのおの)—を相へて用ゐむ」〈記神代〉。「兄火闌降命ほのすそりのみこと自づからに海—します」〈紀神代下〉
  2. 2 狩や漁の獲物。「海にのぞみて魚を釣る。倶に—を得ず」〈紀神代下〉
  3. 3 幸福。「野と海とに就きてともに祥福を争へり。〔祥福ハ〕俗の語に佐知さちといふ」〈常陸風土記〉
    →さきはひ。▽朝鮮語sal(矢)と同源。

「さち」は朝鮮語と同じ起源をもち、サツから転じてサチとなり、それは矢のことだと言う。用例として古事記をあげ、ついで日本書紀によって狩や漁の獲物の意味をあげる。ヤマトの人々にとってサチは弓や獲物を指す言葉だった。

そして3番目に幸福の意味をあげる。それは常陸国風土記の多珂郡飽田の村での使用例によってである。なお常陸国風土記は、古事記(712年)と日本書紀(720年)の中間に成立している。

言葉の意味は文脈の中に置いてはじめて理解できるものである。辞典において用例を示す理由はそこにある。しかも用例は初出を探し出して示す。岩波古語辞典の編集者は「さち」が「幸福」を意味することを示す初出として「常陸国風土記」の多珂郡飽田の村での使用例をあげているのである。

なお、岩波古語辞典と冒頭に示した沖森卓也ほか編『常陸国風土記』での表記が異なるのは、テクストが異なるからであるが、本項ではその違いは無視しえる内容だと考える。

国語辞典は

小学館『日本国語大辞典』は「さち【幸】」の見出しで、(1)(名詞)獲物をとるための道具。また、その道具のもつ霊力。(2)(名詞)漁や狩りの獲物の多いこと。また、その獲物。(3)(形動)都合のよいこと。さいわいであること。また、そのさま。しあわせ。幸福。と説明する。

(2)の獲物の多いことの例として常陸国風土記をあげる。『岩波古語辞典』とは異なる。そして「語誌」の項目において次のように解説する。

元来(1)や(2)の意味で用いられ、情態性を表わす「さき(幸)」とは、関係ない語であった。しかし、「さち」を得られることが「さき」という情態につながることと、音声学上、第二音節の無声子音の調音点のわずかな違いをのぞけば、ほぼ同じ発音であることなどから、「さち」に(3)の意味が与えられるようになったと推定される。上代の文献には、狩りや漁に関係しない、純然たる(3)の意味の確例は見られない。

常陸国風土記においても狩と漁に関するものであり、「上代の文献には、狩りや漁に関係しない、純然たる(3)の意味の確例は見られない」のもたしかなのだろう。また「さち」と「さき」の関係は音韻学上では指摘のとおりなのだろう(素人にはわかりません)。しかし常陸国風土記の編修者(藤原宇合説が有力。宇合は霊亀3年-717-遣唐副使として入唐。翌年帰国、常陸守に任じられる。したがって常陸国風土記は宇合がが在任中に成立したとされる)は「さち」に「祥福」の漢字を宛てる。いや逆である。祥福の文字に「さち」という音を宛てる。祥にはさいわい、よろこび、めでたいという意味があり、福も祥とほぼ同じ意味であるから、二つの同じ意味の言葉を重ねて、さいわいを強調する。この点から常陸国風土記の編修者には、「さち」は単に漁や狩りの獲物の多いことだけを意味する言葉との認識はなかった。獲物が多いことは、さいわいであり、よろこびでもある。むしろ、くにひと=多珂郡の人びとの言葉に「さち」には、さいわい、よろこびの意味が前面に出ていると編修者は感じた、と思えるのである(素人の感想です)


さいわいを意味する多珂郡の方言「さち」が常陸国風土記によってヤマトの人々に伝えられ、普及していく。現代において「さち」と聞いて、弓や獲物を思い浮かべる人はまずいまい。『新明解国語辞典』(第5版 1997年)は「さち」に幸の漢字を宛て「(1)雅語(短歌・俳句などの詩的表現や文語文に用いられる語) 海や山でとれた食べ物。(2)幸福。さいわい。」とだけ説明する。今や弓や獲物の意味は古語辞典でしか説明されない。

なお久慈郡薩都里の条にも「さち」が幸福の意味をもつことを示す記事があるが(こちら)、「俗の語」であることは書いていない。多珂郡の条で説明するから略しておこう、ということか。