私とわら細工

大和田清 日立市滑川町

私は、子どものころから、手先を使って、いろいろな物を作るのが好きでしてね。きりだし(小刀)を使って、竹とんぽなど、遊び道具も、よく作りましたよ。学校をおえ、農業に従事するようになってから、わら細工をするようになりました。わら仕事の手ほどきを受けたのは、同じ町内の大和田源男さんのおとうさんで、丑五郎さんという人です。教わるなら、なにごとでも身内でなくて、他人のほうが身につくものですよ。まず、縄もじりからやりました。縄もじりは、夜なべに台所でやったものです。だいたい2時間で、50尋(ひろ)ぐらいが日課でしたね。雨っぷりの日は、一日中縄ないをやりました。なに、荒縄ですよ。むしろ編みもやりました。これは1日2枚です。かますは、むしろより念入りに編んだものです。目を詰めてね。すれるところには、布切れを入れて編みます。これらに使うわらは「つかいわら」といって、別にとっておいたものです。土間の梁(はり)の上にあげておいたり。これは、煙ですすけますが、すすわらは、かえって丈夫なんですよ。わら小屋を建てて、その中へ収納しておく家もありました。しかし、大部分は田んぽに「ノウ」(積みわら)にして、保存しておくのが多かったですね。火災の危険もありましたからね。わら細工などに使うのは、全体の2割ぐらいでしょうか。わらの8割がたは馬糧ですよ。どこの家でも馬をかっていましたから。馬小屋の敷わらと、飼料としての切わらです。敷わらは、二つ切りにして、これはあとで堆肥に積みました。わら仕事でおもに作ったのは縄のほか、ぞうり、俵、むしろ、かます、こえふご(肥料を運ぶ用具)、かましき(釜敷)などです。わら仕事はじめは1月20日の二十日(はつか)正月で、最初に車井戸(車つるべ)の縄よりをやったものです。井戸縄はじょうぷにするため、9本よりにしました。

日立市郷土博物館『市民と博物館』第1号(1978年)