本山あれこれ 著者 加藤正一さん

日立鉱山が閉山した1981年、I県歴史館のAさんと私は、日立鉱山の史料調査に入りました。事務所からグランドをはさんで南側にあった建屋(旧事務所?)に残されていた多くの史料の中から、残してほしいものを選び出し、簡単な目録をつくりました。延べ十日ほどかかったでしょうか。保存をお願いして、調査を終えました。どれほどたったのか、今では思い出せませんが、それらの史料はコンプレッサー室に移され、あの建屋は消えていました。このコンプレッサー室でさらに私たちがつくった目録と史料をつきあわせる作業を数日間行いました。このとき立ち会ってくださったのが、加藤正一さんでした。

日立鉱山を退職されていた加藤さんは日本鉱業から依頼されて、残すべき資料の手当てをしておられたようです。埃をかぶったままの史料はそのまま段ボール箱に詰められ、郷土博物館に移されました。地下の収蔵庫で私は埃を払いながら、再度目録をつくりなおし、新しい箱に詰替えました。その後、1995年頃でしょうか、これらの史料は日鉱記念館に引き取られていきました。

加藤さんとはその後、『鉱山と市民 聞き語り日立鉱山の歴史』の編纂で一緒でした。月一度の研究会で顔を合わせました。編纂メンバーのなかにあって鉱山関係者は加藤さん一人だけでしたので、頼りにされ、あれやこれや質問攻めにあっていました。そんな中、加藤さんが研究会の席上で配布したのが、手書きのコピー資料「本山あれこれ」です。お読みいただけばわかるように、加藤さんが会社の史料保存にかかわっている中で見つけ出したものや、自身本山で生れ、育った中での記憶に基づいて書かれています。

その後『日立製作所と地域社会』の編纂でも、月一度の午後からの研究会で顔を合わせ、夕方から赤提灯での研究会第二部でもご一緒しました。ですからかれこれ10年ほどいろいろと教えていただきました。

加藤さんのこの「本山あれこれ」は、どこにも活字になっていませんので、ここに紹介することとしました。加藤さん、御了解ください。

その加藤さんは鬼籍に入っておられます。