史料 日立鉱山所見
1913年

目次

史料について

当時の日立鉱山

日立鉱山の開業が1905年(明治38)の暮12月で、実質的には翌年から操業であろうから、本記事が新聞に掲載されたのは、開業から7年目のことである。

1906年に中里発電所着工、1908年に採鉱所のある本山から大雄院移転跡地に設置した新製錬所が運転開始、常磐線助川駅と新製錬所間をつなぐ電気鉄道が開通する。この年の産銅量が尾去沢、阿仁、生野鉱山を抜いて別子につぐ4位となる。1910年に神峰山頂に気象観測所移転、芝内工場開設(日立製作所の創業)、1911年には煙害対策の神峰煙道を完成させ、煙害対策と廃物利用のための硫酸工場が操業を開始し、また電錬工場も操業をはじめる。1912年(大正元)久原の個人経営から株式会社へ。1913年公溪生視察直前の5月に煙害対策用の大口径の煙突(阿房煙突・命令煙突)が完成する。

地域との矛盾・対立をかかえながら目覚ましい発展を遂げていた時期のレポートが本史料である。


[本文]

 ●日立鉱山所見(一)

公溪生

   一、はしがき

七月十七日曇、本野男爵野村子爵の両先輩に從ひ午前十一時廿分上野駅を發車、日立鑛山視察の途に上る、記者は同日の我讀賣新聞紙上に掲げられたる社主本野男爵の述べられたるが如く我大和民族の將來に就きては大々的楽観をなし居れども今日の我財政經済界の現状に對しては最も悲観せるものにて此國憲國憂を打破せずんば到底我民族を雄飛せしむること能はず然らば其打破策は如何と云ふに唯だ我産業の發展あるのみ。日本の産業中農業は古來より行けれ稍發展したるが如き感あれども我林業、鉱業、漁業の三者に至りては其範圍廣大無限にして天が特に我國民を祝福したるが如く観察し得らるゝにも拘らず今日に至る迄我國民は此等の事業を軽視若くは危険視する傾ありたるを以て此方面に於ける智識經験頗る浅く之と同時に經營に必要なる資本を獲る事困難なり。これ十分なる發達を遂ぐること能はざりし所以なり。故に今後此方面に對しさらなる資本と最新文明的科學とを適用し得るに至らば以上三事業の収入は十年を以てずして必ずや今日の二倍三倍若くは十倍に達し得べきことと間違ひなかるべし。果して然らば今日日本國民が憂慮拱く能はざる所の我海外貿易の不振乃至輸出入の不□衡、之に因りて生ずる正貨流出、□外正貨補充、生活難、就職難等の諸問題は一擧に解決し得べく、進んでは國防に必要なる軍備充實問題迄をも解決し得、茲に大和民族の雄飛を實行し得べきに非ずや。余輩は以上の見地より日本の鑛業研究に對し深き興味を有し居れるを以て今回の行に於ても豫め余輩の此抱負に對する好材料の饒多ならんことを祈り置きたる次第なり

 午後四時過助川駅に着、鑛山の齋藤[浩介]、角[弥太郎]兩氏并て親族[ママ]高尾[直三郎]工學士等に迎へられ徒歩約二町東暁館離亭に入る、茅屋瀟洒岸頭の老松を隔てゝ太平洋の激浪に對す風光頗る両賓の意に適ひたるが如し。但し膳羞魚菜は云はずもがな館の女將と雖も東京直輸入なりと聴くに至りては却て過猶不及の感を惹さしめぬる

 翌十八日微雨、午前九時齋藤、角兩氏の案内に依り助川駅を起點とし日立村大雄院製錬塲に至る約一里間に買鑛并に需用品運搬(沿村住民も無賃便乘随意)の爲め布設せられたる電車にて大雄院事務所に至り休憩の後俥にて約一里餘の山路を登り本山採鉱場に向ふ。製錬場煙筒より吹き來れる硫気鼻を襲ひ咳嗽頻りに起り沿道の山岳満目粛條偶ま枯樹の點在する已!詩客[大槻]如電「山樹不生芽、野草不着花、寒温認風物、無乃是仙家」の句は蓋し此辺の光景を咏じたるものならんか。採鉱場手前の所に降俥一行沿道の鉱夫小舎を訪ひ或は彼等の生活状態を尋ねな□し午前十一時頃採鉱場に達したり、以下視察順に依り所見を述ぶる事とせん。

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 ●日立鑛山所見(二)

公溪生

   二、採 鑛

 久原鑛業株式會社日立鑛山に於ては、製錬元鑛を自山鑛と買鑛との二方面に仰ぎ居れるも、茲には単に同山中の日立鑛山のみに付き説くべし、該山は助川驛の西北二里餘の處に在り、鑛區面積一百三十二萬九千五百七坪、明治三十八年末現鑛業人久原房之助氏の手に歸したるものにて、鑛床は含金銀銅硫化鐡鋼層にして、幅員五百尺、延長五千尺の間に數多の並行鑛層をなし、樋巾の如きも概して廣大にして、零尺坑二千尺の邊に於ては六十尺餘に達せり、一般に走向四十五度西北に向ひ、七十度の傾斜をなし居れり、現在の探鑛區域は、第三、中盛、神峰及本坑にして、五十尺若くは一百尺毎に坑道を開鑿し、正斜竪坑に依り連絡せるが、大通道の大きさは十尺に八尺、若しくは六尺にして、複線若くは単線軌條を布設せり、採掘法は上向階段法に依り、人力及び壓搾空氣を動力とせる鑿岩機を使用し居れるが、軈て坑内運搬用の電車設備完成と同時に、縦横に多數の鑿岩機を使用し、尚進んで最近發明の空氣液等を爆發剤に利用し得るに至らば、莫大なる鑛石を産出し得る事となるべし。

 今茲に是非一言せざるべからざることあり、從來我國に於ける多數鑛山業者の蹉跌したる徑路を案ずるに、其多數は豫め十分なる鑛量調査を行ふことなく直に製錬等の設備に着手し後日に至り豫期の鑛量を得ること能はずして徒に資本を放散せしめたる點にありとす。然るに余輩の耳にする所に依れば──久原氏の經營せる日立鑛山の如きは背後に井上老侯故藤田傳三郎氏の如き幾多有力なる後援者を控え居りて、資本の點に付きては毫も顧慮するの必要之れなきことゝ推察し得らゝるに拘はらず、氏は去る明治三十八年本山買収後、其經營を創むるに際しては無謀なる一般鑛業者の同時に採鑛製錬の両方面に手を伸ばすが如き軽擧を避け、製錬事業は僅に前經營者の施設(一ヶ月鑛産額約二萬圓前後)程度を維持するのみに止め措き、専ら全力を探鑛方面に傾注せられ、莫大なる資本と多大の時間とを消費して「ボーリング」試鑽を縦横に全鑛區内に實施せられ、確實豊富なる鑛量の存在せることを確かめ得たる暁に於て、始めて現今大雄院寺跡に[兀]立せる大規模の製錬塲建設に着手することゝなしたるは、孔子の所謂「物本末あり事終始あり」の要道を履みたる健實なる遣り方と謂ひうべく、將來の鑛業經營者の特に注意すべき點なりと信ず。


 ●日立鑛山所見(三)

公溪生

   二、採 鑛(續き)

鑛産額は上叙の如く、鑛量の豊富なることは、調査の結果明瞭なるを以て、近く採鑛諸設備の完成と同時に、其産額も非常に増加すべき見込なるが、今參考の爲め東京鑛務署調査にかかる過去七年間の該鑛産額を示せば左の如し

製糸[ママ]價 額
明治39年
440,640斤212,080圓
同 40年138匁690圓
4,154匁540
1,333,713斤754,881
同 41年12,897匁61,948
247,629匁33,492
3,169,293斤1,018,612
同 42年27,809匁133,205
302,103匁36,252
5,791,801斤1,762,740
同 43年31,939匁156,852圓
351,773匁44,675
7,169,890斤2,134,476
同 44年28,786匁156,249
376,778匁47,076
7,375,489斤2,149,955
大正元年33,540匁158,477
365,896匁54,519
8,220,377斤3,484,734

選鑛と運搬とに言はんに、本山の鑛石は含銅[硫]化鐡にして、選鑛の必要比較的少き由なるも、手選りの外機械選鑛塲新舊二箇所を設置し、ク[ラ]シヤ電氣篩等を用ひて選鑛をなしたる後、同所より製錬塲までの間に建設しある架空索道(複線)(七、四七〇尺)に依り電力を假りて直に製錬塲に運搬し居れり。

目下使用せる鑛内外の鑛夫數約一千人餘にして、坑夫百九十三人支柱夫五十人、手子十五人、選鑛夫(男)百十一人(女)五十二人、其他機械夫、雑夫等ありて、賃金は最高賃金一圓七八十錢より雑夫の最高賃金一圓二十錢を上とし、最低賃金は坑夫の四十五錢、雑夫の十五錢まであり、一人一日平均四五十錢に相當す、彼等の住居は無償にして、湯錢の如きも會社の經營に係り、僅に五厘を支拂えば可なるを以て生活状態は東京市内の下層民よりも上位に在るが如く思わる(此項完)

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 ●日立鑛山所見(四)

公溪生

   三、製 錬

 日立鑛山製錬塲は採鑛塲より降ること約一里、日立村大雄院舊跡に在り。三面峻峰を以て圍まれ、東南の一方開いて助川驛に達する平野あるのみ。小溪を隔てゝ鑛山事務所に對し建設せらる。建家數棟何れも堂々たる煉瓦造なるが同所の製錬法は乾式製錬法に則り、鎔鑛に半生鑛吹法、錬銅に「ベセマ」式を採用せるを以て右建家内には(一)錬鑛用として長四十尺爐二座、十五尺爐三座、八尺爐二座及丸形經四尺爐一座(二)錬鈹用として長十尺爐一座、九尺爐一座(三)錬銅用として「ベセマーコンバーター」八箇(四)粉鑛処理用として焼結爐二十一個(五)給風の爲め「ルーツ」「ラート」「パーソン」等送風機等を設備しありて以上の諸機械に依り眞紅に溶かされたる鑛液は、段々無用の鑛滓を游離せしめられ順序を追うて次へ次へと移され、最後の所に於て金銀鉛を含有せる粗銅と化し、重量三十五貫目宛の型銅となりて附近の電氣分銅所へ搬出し居れり。

 想ふに當製錬塲の如きは其機械並びに設備の點に於ては世界最新のものを採用し、製錬の方法に付きても十分最新科學の應用を怠らざることなるべし、殊に精錬課長青山隆太郎氏は最も斯道に達せる人と聞き居れるを以て間然する所なしと信ずれども、尚百尺竿頭一歩を進めて改良を施し、我國鑛業界の爲めに盡されんことを希望す。最近歐羅巴の學者は空氣壓搾に依りて得たる酸素液を「アセチリン」の火に合し燃焼するときは如何なる鐡板と雖も直に鎔斷し得べき事を發見したる由なるが、此等も軈て鎔鑛の一方法として採用せらるべき日あらんと思惟するを以て茲に一言し置かん。(此項未完)


  日立鑛山所見(五)

公溪生

   三、製 錬(續き)

右製錬塲外にて前後左右に幾十條となく軌道敷[設]せられありて電車は或は助川駅荷扱所より買鑛、コークス食料等の物資を輸送し來るあり或は不用の鍰を構外に搬出するあり或は粗銅を電氣分銅所へ輸送などしつゝありて絶へず往來し居れり。

背後の山腹には數條の延蜿たる隧道とんねるありて何れも數百間を隔たりたる山巓の煙突に連續し居りて金鎔爐より迸り出づる硫氣と煤煙とは右の坑中を傳ひて山上に噴出し、四方の數里に跨れる天地を掩ふ、其雄壮の光景に至りては筆舌の盡くし得る所にあらず。

 製錬原料たる鑛石は前に採鑛の部に於て述べたるが如く、其一部は久原氏の所有に屬する日立ひだてを初め遠州峰の澤、佐渡の西三川等の鑛山に仰ぎ、他の一部は東北地方伊豆九州遠くは朝鮮より之を買入れ居れるが、近年茨城地方に於ては石炭の産出量豊富となり從つて東京地方へ輸送貨車を要すること頻繁なりしに拘らず同地へ向つて輸送せらるべき貨物極めて少く片便の感あり。此に於て鐡道院は特別割引法を講じて該地方向鑛物の輸送を奨勵し今日迄運賃の關係上不引合なりし各地の鑛山も算盤を持ち得ることとなり、再び稼業を開始し、次第に多量の鑛石を搬送し來るの氣運に向ひたり。而して此等の鑛石は精品となり再び汽車便に依りて各地方に輸送せらるゝを以て、鐡道院は直接に其収入を増加し得たると同時に間接に小鑛山業者を保護し、我鑛産額を多大ならしむるの効果を奏せしめたる譯合なり


 ●日立鑛山所見(六)

公溪生

   三、製錬(續き)

 前述の如き大規模の下に經營せられつゝある同所の元鑛は如何なる方面より供給せられつゝありやと云ふに、其一部は曩に採鑛題下に略叙したるが如く附近の自山より鐡索に依りて直に輸送せられ猶久原氏の所有にかゝる遠州峰の澤佐渡西三川等よりも鐡道便に依りて送入せられ居るが、他の一部は買鑛を以て之に充て居れり。此等は近くは三菱の高取鑛山、伊豆半島、東北地方、遠くは四國、九州進んでは朝鮮地方の諸鑛山と特殊の關係を結びて鑛石の買収をなし、船舶鐡道の両便を借りて助川駅迄運搬し居れるなり

 斯く同製錬塲は主として自山の元鑛を原料となし居れども該鑛は既記の如く硫化銅鐡なるを以て、其鎔解剤として是非共硅石鑛を混合するの必要あるが故に、自然硅石を多量に含有する金銀銅鑛を歓迎し居れる由なり。而して余の聴く所に依れば政府に於ては遠からず平郡線即ち福島県郡山駅と磐城の平駅との間に鐡道布設に着手すとのことなるが、右鐡道にして落成せんか羽岩越地方の豊富なる鑛石は仙臺線若くは小山線の迂廻を免れ陸續助川駅に集中するに至るべき見込あるを以て、將來日立製錬塲に供給せらるべき元鑛は一面に於て自山鑛が日立鑛山の採掘設備の完成に伴ひ増加すると同時に、他面に於て買鑛が前述の事由に依り増加すべき形勢あるを以て非常に多大なる額に達せん乎。

 製錬の爲め噴出する煙害除却並に廢物利用の兩目的の爲に副業を開始し(一)錬鑛爐より排出する鑛煙を利用して一[箇]月約一萬封度の硫酸を製出し(二)煙塵内含有の硫黄分を利用して精製無色の二硫化炭素液一箇月約六千封度を製出し、此等は直ちに電氣分銅其の他用途に使用し居れり(製錬終り)

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 ●日立鑛山所見(七)

公溪生

   四、電氣分銅

日立鑛業事務所前乘降塲より電車に乘じ行けば、左側川向ひには日夜製錬塲より運び來りたる黒き鑛滓の山の如く積重なれる所あり。遥の山々には所々高く聳ゆる煙突ありて、何れも揃つて灰色の硫黄臭き煙は西に東に風に任せて吹かれ、砂防工事の縫目ある禿山の上に噴き飛ばし居れる光景物凄し。それより規則正しく建て並べられたる鑛夫長屋、病院學校などの側を過ぎ約二十町程來たりしならんと思う頃停車し、平野の間に建並べられたる紡績塲の如き煉瓦作の構内に導かる、これ即ち電氣分銅塲也。

 我國に於て電氣分銅塲の設けある鑛山は至つて少く、關東地方では當山、足尾、小阪等指を屈するに過ぎず。故に多數の鑛山に於ては金銀分含有の儘型銅として横濱邊の外商に賣込み、中には随分損失を重ね居れる人もありとのことなるが、其より甚しき實例は今より約二十年前頃迄内地に於て通用され居たる文久天保等の銅錢にして、當時利に敏き外商達は僅に一錢の八割若くは三割位の價額にて悉く右の硬貨を買収し、之れを本國に持帰りて電氣分銅により分解したるに、其の古錢中には多量の金銀分を含有し居れる爲何れも莫大なる利得を獲たりと。右は単に其の一例を示したるに過ぎず、仔細に各方面に渉り観察すれば、至る所如是馬鹿氣たる損失を蒙りつゝあるが如く、其は要するに我國民の科學的知識缺乏に基因せるものなれば、此一點は特に教育家の注意を拂われん事を希望す。

 却説當塲は先ず製錬塲に於いて製出したる粗銅を電力の應用に依り純銅に精製すべき仕掛をなしたる所にて、屋内には(一)長さ九尺、深三尺三寸、内法幅二尺六寸の電槽二百十個(二)長さ九尺五寸、深三尺五寸、内法幅二尺六寸の電槽九十八個及び(三)長さ十尺、深三尺五寸、内法二尺六寸の電槽四十二個を備え、一千キロワツトの電力を使用して分銅をなしつゝあり。今其の方法を簡単に記せば右の電槽内には何れも八分目程硫酸液を充たしありて其中心に銅製短冊様の原板を挿入し置き、其外部に粗銅を配置し、右原板に送電するときは電氣鍍金と同様に粗銅中の銅分は硫化銅となして遊離し、段々右原板の兩面に吸収せられ、斯くして日を經ること二十日間に至り両面に附着せし純銅凡そ二分位の厚さとなるを以て、直に右原板を構内屋上より吊下せし電氣仕掛の架枠中に挟み込みて持去り、同時に新原板が挿入せらる。而して隣室に於て先の原板の両面に附着せし銅板を剥ぎ取れば是即ち精銅板にして一枚の目方十三斤宛のもの也。(此項未完)


 ●日立鑛山所見(八)

公溪生

   四、電氣分銅(續き)

 一度右の電氣分解に使用せられたる硫酸は硫酸精選室に送られ精選せらるゝことゝなり居れるが其際一種の副産物を産す。其は美はしき紺青色の結晶せる硫酸銅即ち丹礬にして、其量一箇月約四萬斤、主として電柱防腐剤として市塲に販賣せられ居れる由なり。

 扨て電氣分銅の爲めに寄るべき友を失ひて雑物と伍して電槽の下に沈澱したる粗銅中の金銀分は、軈て時を得て別室に備ふる二座の反射爐に送られ提壺に盛れる儘強熱に遭ひ鉛分は酸化鉛となりて鎔出し、金銀分區となるや直に直方形の小型中に注ぎ一貫百目宛の金銀塊となる、其含金分は十パーセントにして一本の價約七百圓に相當せり。如斯高價の金銀塊は昼夜の別なく一時間毎に一本以上宛絶えず製出せられ一個月の産額は金三十貫代價十五萬圓、銀三百貫價額四萬五千圓を算出すと云へり。國民何れも正貨欠乏の患に沈める今日聊か人意を強うするに足る。依つて左に同鑛山最近四箇年間の鑛産額表を掲出すべし。

   (イ)鑛産製出數量表

自 鑛賣 鑛合計
(42年)27,809匁33,472匁61,281匁
302,103匁1,391,945匁1,694,048匁
5,719,801斤709,240斤6,501,041斤
(43年)31,939匁73,442匁105,381匁
351,773匁1,890,911匁2,242,684匁
7,169,890斤889,123斤8,058,013斤
(44年)28,786匁129,193匁157,979匁
367,778匁2,482,122匁2,849,900匁
7,375,489斤2,081,082匁9,456,571斤
(元年)33,540匁190,334匁223,874匁
365,896匁2,363,730匁2,729,626匁
8,320,377斤4,737,121斤13,057,498斤

   (ロ)鑛産價額表

自 鑛買 鑛
(42年)133,205圓163,998圓
36,252圓167,033圓
1,762,740圓220,077圓
右合計 2,483,315圓 
(43年)156,852圓362,360圓
44,675圓243,510圓
2,134,476圓266,868圓
右合計 3,208,741圓 
(44年)14,249圓770,907圓
47,076圓326,831圓
2,149,955圓745,363圓
右合計 4,054,381圓 
(元年)158,477圓954,814圓
54,519圓354,229圓
3,484,734圓1,955,571圓
右合計 6,962,344圓 

 以上の如く既往に於て長足の進歩をなし來りたるが本年度に於ては前日來叙述し來れるが如きの關係に依り製出高を増加したるを以て本年末迄の鑛産價額は前年度の二倍即ち約一千三百萬圓前後に達すべきことゝ思惟す。(此項完)

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 ●日立鑛山所見(九)

公溪生

   五、日立製作所

 日立製作所は前記電氣分銅塲の南方に在りて各種電氣機械並びに其附屬品を製作し、東京石川島製作所に於て製造せる鑛山用諸製作品と相俟つて久原鑛業株式會社が各地に於て經營せる鑛業用諸機械を供給し、傍ら一般需用に應じ其製作品を販賣し居れるものなり。

 所長小平浪平氏指揮の下に十數名の技師(何れも工學士及び高工出身者)ありて數百名の職工を使役し各種の發電氣、電動機、勵□器、変壓器、電壓調整器、タービン喞筒、配電盤、ベルトン式水車、可搬電動捲揚機、開閉器、電動タービン喞筒等を製作しつゝあるが、此等の原料は鋼鐡板等一小部分を除くの外何れも内地品を使用し、今日に於ては職工の技術も熟練したるを以て其成績は毫も舶來品に遜らざる程度に達し、現に其製品は東京大阪両市を初め全國電氣界より續々注文を受け居れり。

 過日當工塲巡覧の際特に余を感ぜしめたるは、配電盤製造事業にして同所に於ては日立鑛山附近に産する青白色大理石を使用し、頗る美麗なる同盤を製造し居れるが、實験の結果に依れば該品は其効用、外見、其他何れの點より云ふも最早や英國製に劣らざる由なり。余今より六七年前曾て電氣事業に從事せしが、其當時東京の信用ある某會社と特約し一切の機具を注文したるに、内國製配電盤の脆弱にして久しきに堪へず、寧ろ英國製を用ゐるに如かずとの注意を受け案外高價なる外品を購入したることあり。然るに其後十年を經ざる今日以上の如き事實を目前に睹るを得て一種云ふべからざる快感を覺えたりき。余は平素より極端なる外品排斥論者にあらず、内外相互に特長品を交易使用して各人の欲望を満足せしむれば可なりと信ずるものなれども、今日の憲政擁護政治家の如く徒に我特長を没却し、悉く之を歐米化せしめんとする主義には絶對に反對するものなり。幸に我國内に於て彼れに優れる原料若くは製作品の存する以上は、余輩は我國民に對し敢て其使用を薦奨せんとす。特に我對外貿易は益バランスを失ひ年々八九千萬圓の入超を示しつゝある際に於ては切に其必要を感ず。

 以上の如く内地一般電氣諸機械製造業の發達に伴ひ、從來慥かに入超の一因を成し居たる電氣諸機械の輸入額漸次減少するに至るべきが故に、余は當製作所は元より一般製造業者に對し國家の爲奮起して一層精巧なる機具を製出せられんことを渇望して止まざるもの也。

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 ●日立鑛山所見(十)

公溪生

   六、待遇と慰安

 今後經世に志ある事業家の最も注意を要すべき點は所謂社會問題即ち資本主對労働者關係にして、該問題は既に數年前より歐羅巴の天地に瀰漫し今や各所に其運動勃發するに至りたるを以て、彼地の爲政者學者は相共に脳漿を絞り其善後策に腐心しつゝある次第なるが、早晩我國へも波及し來るの虞なきを保すべからざるが故に我國に於ては豫め該問題に對し十分なる攷究を重ね置きて日本人獨特の解決を爲すの必要ありと信ず。

 却説日立鑛山經營者が如是國家の盛衰に關する重大問題に對し果して余輩と同感なるや否やは知らずと雖[も]、聞く所に依れば同鑛山が其使用人に對し既に實行し且つ現に實施しつゝある待遇法は他の鑛山に比し特殊の注意を拂ひ居れりとのことなれば聊か其見聞する所を語りて該問題研鑽者の參考に資せんと欲す。

(一)賞與、

(イ)通常賞與、毎年歳末に於て職員雇員其他の事務員一般に對し勤惰業務の成績等を參酌し二箇月乃至八箇月分俸給相當の金額を頒與せるが、大体一箇年を通じて十五日間の休暇を與へ右期間外の缺勤に對しては累進的に賞與額を軽減すべき組織なりと。

(ロ)臨時賞與、將來に付きては未だ具体的に決定し居らざれども昨大正元年十月中日立鑛山開業後の記念として同山全職員、五年以上勤續の職員並びに鑛山特別關係者に對し多少區別を付して金額七十萬圓に相當する久原鑛業株式會社株券を頒與し、將來右の人々をして同會社の利害關係人たらしめたり。

(二)鑛夫共濟會、

同會は日立鑛山鑛夫及び其家族を弔慰救濟せんが爲めに同山事務所員及鑛夫を以て組織せられたるものにして其日暮しの鑛夫社會に於て最も必要且適當なる設備と信ずるが故に右規約全文を左に摘載することゝなしたり

日立鑛山鑛夫共濟會規約

第一條 本會は日立鑛山事務所員及鑛夫を以て組織す
第二條 本會は日立鑛山鑛夫及其の家族を弔慰救濟するを以て目的とす
第三條 本會々員を別て左の二種とす
 通常會員
  鑛夫頭小頭其の他鑛夫名簿に登録せられたるもの
 賛助會員
  事務所員
第四條 通常會員にして職務上其の他不都合の所爲ありて解雇せられたる者は之を除名す
第五條 本會の共濟資金は會員の義捐金醵出金及篤志者の寄附金を以て之に充つ
第六條 本會に左の役員を置き事務を統理す
 會 長   一人
  會務を統理す
 評議員   五人
  會務に參与す
 書 記   二人
  庶務會計に從事す
 役員は総て名誉職とす
第七條 會長は事務所長を推戴す
第八條 評議員及書記は事務所員の中より會長之を選定し其の任期を二個年とす 但再任を妨げず
第九條 會長は通常會員中に 委員若干名を常置し鑛夫の生計其の他の状況を報告せしむ
第十條 本會々務の執行は評議員二名以上合議の上會長の承認を經べきものとす
第十一條 通常會員は金五錢を毎月醵出するものとす
 本條醵出金は何等の事情あるも之を返付せず
第十二條 賛助會員は各自給料月額の二百分の一を毎月義捐するものとす
第十三條 弔慰救濟の方法は左の區別に據る
 一、死亡者へ金十五圓  
 二、廢疾不具となりたる者へ金十五圓以内  
 三、家族死亡したるものへ金五圓以内
 四、傷痍を受け又は疾病に罹り生計極めて困難なる者へは一家の人員に應じ一日一人に付金十錢以内但三十日に至れば止む
 五、在職満三年以上四年未満にして退職したるものは金三圓を付與し爾後十年までは一年毎に金二圓、満十一年以後は一年毎に金三圓を増加す
 前項各號に依るの外其の情状に依り一時限り金十五圓以内の金額を付與することあるべし
第十四條 前條第一項各號に相當する塲合に於ても故意怠慢に基因し若くは除名處分を受けたるものなるときは共濟金を付與せず
附記
通常會員の醵出金は各自毎月の義務貯金中より支拂ふことを得其の貯金額十錢に充たざるものは醵出の義務を免かるものとす


 ●日立鑛山所見(十一)

公溪生

   六、待遇と慰安(續き)

 右共濟會の大正二年七月末現在の基金は左の如し
 基金現在額  一八、二二四圓三四
    十月分収入
 鑛夫醵金      一七一、四五
 役員義捐       八六、〇四
 事務所補助     二五七、四九
 (山の汚穢物賣却収入此内に包含せるならん)
    同支出額
  弔慰救濟金   二七五圓〇五三

(三)衣食住

 住居は職員雇員には社宅を貸與し、此等の人の中無家族者は同宿所に起臥せしめ、鑛夫等に對しても相當設備ある家屋を貸與し、以上の住宅及び長屋には夫々水道を設けて飲料水を給與し、湯塲は鑛山の建設にかゝり請負營業となし湯賃として一人五厘宛を徴し居れり。飲食物其他日用品は鑛山給與所に於て通帳に依り販賣し月末賃金中より差引くことゝなし居れるが、其方法は(一)白米は家族の頭數並びに老少等を參酌し豫め必要額を定め置き、價格は如何に暴騰の塲合と雖も一升十八錢以下にて之を販賣す。(二)酒は一升五十五錢の割合にて一人に對し一日、二合以外は之を販賣せざることゝなし味噌、蔬菜其他の日用品も亦前記の通帳に依り給與せられ、(三)衣類の如きは山中に呉服屋、洋服古着屋等の開店せるありて此等の店舗より購入し居れり。尚當鑛山は比較的海岸に近く、且つ山用電車便あるを以て他山よりは鮮魚の價廉にして、從つて其の需用も多きが如く見受けられたり

(四)教育機關

 (イ)徒弟養成所は大雄院舊跡鑛業事務所附近に在り、専ら同鑛山事務員見習ひ生を養成する爲めに設けられたるものにして[其員數約一百餘人なり(ロ)小學校は採鑛塲(第一校)と製錬塲(第二校)とに設けられ職員並びに鑛夫等の子弟に國民教育を授け居りて]其學級並びに児童數は左の如し。

級數兒童數
第一校一〇男二二七女一五五三八二
第二校一八五〇二三五一八五三
通 計二八七二九五〇六一、二三五

而して右に對し日立鑛山に於て負擔せる費用は一人割一箇年約十圓宛に相當すといふ。茲に右小學校に付き面白き談あり、大浦子爵が曾て農商務大臣たりし時地方巡遊の途次日立鑛山を視察せられ右の小學校に立寄りたる所、同校生徒を集めて、(イ)日本に於て一番エラき方は何人なりや、(ロ)諸子は大きくなりて何になる積りかの二質問をなしたるに何れの生徒も申合せたるが如く異口同音に(イ)に對しては 天皇陛下、次は 皇后陛下、其次は皇太子殿下と唱へ、(ロ)に對しては軍人になる積りと答へたるを以て、一行互いに顔を見合して唖然たりしと。余輩は其の小國民の簡単なる答を以て遺憾なく我國民の最長所と最短所とを同時に表白し居れりと信ず、これ茲に揚げて些か世の教育者の參考資料とする所以也(此項未完)


 ●日立鑛山所見(十二)

公溪生

   六、待遇と慰安(續き)

(三)強制貯金、

同鑛山に於ては鑛夫職工等の不慮の災厄に備ふるため、前述の共濟會の外に義務貯金制を設け、彼等が毎月受取るべき賃金中の一部を割き各自の一箇月分収入額と同一額に達する迄之を貯金せしむることとなし居れり。

(四)病傷療養、

病院は第二小學校附近に在り。附近の建家に比せば稍垢抜けしたる建築にして常に十餘名の医員と薬剤師とを聘し、職員並びに鑛夫等が業務に從事中蒙りたる負傷及び疾病に對しては無償にて之を診療し、其他彼等の家族に對しても實費以下にて医療投薬をなし居れり。

(五)娯楽機關、

本山の採鑛製錬両塲所附近に二個の劇塲を建築し、時々東京其他地方より俳優を招き寄せ種々の演藝をなさしめ、以て該山從業者並に其家族等の疲労と無聊とを慰安し居れりと云ふ。余等が採鑛塲視察の途次路傍にて目撃したる日立座の如きは、實に堂々たる構造にして其儘山中に置くは可惜しく思はれたるが、後聴く所に依れば該山事務所は右一座の建築費に約一萬圓を投じたりと

(六)永遠慰安、

身的たると心的たるとを問はず、労働者には一日も慰安なかるべからず、特に鑛山事業の如き、終日暗黒なる坑内に在りて穂燈光微なる所槌聲ハンマーと相和して「朝は五時からカンテラ提げて坑内稼ぐも親の罰」或は發破(ダイナマイト)掛けかけ切羽が進む、進む切羽に箔(鑛石)が着く」との唄に一種言ふべからざる凄調を帶びて稼ぎ居れるかと思へば、乍ち迅雷耳を掩ふに遑あらざる程烈しき爆發の音響に襲わるゝ鑛夫の如き、或は寒暑の別なく炎熱燬くが如く硫氣鼻をつんざくが如き火爐の側に在りて鎔鑛に從事せる錬夫の如き労働者に對しては一層心身の慰安をなさしむるの必要ありと信ず。

 扨て日立鑛山に於ては前述の如く此等の目的を達するため既に娯楽機關其他相當の設備整頓し居れるが如きも、余輩は尚一歩を進めて同山の經營者が速かに此等原始的労働者に適應すべき宗教を選擇し、彼等を教化して安心立命の域に進ましめ静かに今日の職業を以て満足し得るやう、即ち永久の慰安を彼等に賦與するやう努力せられんことを切望す。余は夙とに我國に於ては自利、利他圓満なる宗教の普及を以て目下歐羅巴各國を荼毒しつゝある社會問題の波及を防止得べしと信じ居れるを以て、茲に同山當局者に對し之が實行を希望したる次第なるが、聴く所に依れ[ママ]同山事務所長齋藤氏は久しき以前より既に彼等に適當なる宗教を選擇し、之を實施すべく計畫中なりと。余輩は一日も早く其着手の期の到來せんことを祈るもの也。(此項完)

▲補遺 追て前回(四)教育機關(イ)の「設けられたるものにして」と「其學級並に兒童數」との間に左の文句を缺如せるを以て茲に之を補足す。 「其員數約一百餘人なり(ロ)小學校は採鑛塲(第一校)と製錬塲(第二校)とに設けられ職員並びに鑛夫等の子弟に國民教育を授け居りて」

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 ●日立鑛山所見(十三)

公溪生

   七、煙害用意

 煙害は附近の農村住民よりも寧ろ鑛業經營者を懊悩せしむべき問題にして、之が爲め足尾別子等の銅山は莫大なる費用を要し、其他各地の鑛山に於ては休山の悲運に陥りたるもの尠しとせず。然るに余輩は目の當り日立鑛山の煙害豫防設備の行届き居れるを實見し、如何に久原氏が事業經營に對し用意周到なるかを感ぜざる能はざりき。

(イ)煙害賠償 多くの鑛山に於ては附近農民が賠償を要求し來るまで恬として顧みざる風あるに反し、日立鑛山に於ては豫て多數の調査委員を選定し、右委員を一週一回宛被害地町村に派遣し其代表者若くは箇人と交渉し、或は立會の上坪苅を行ひ或は目分量に依りて賠償額を定めて之を交付し居れるが、昨年度総賠償は十三萬圓なりしも本年は多少増加の傾きあるを以て十四萬圓位に達せんか。尚鑛山事務所に於ては次の試作塲に於て調査したる耐煙害米麦種子を選擇し、之れを地方農民に頒付して其被害程度を減少することに勉め居れり

(ロ)試作塲 日立村製作塲附近に於て五町歩の試作地を設け林學士鏑木徳二氏以下十三人の技手をして各種の農作物及苗樹を試作し煤煙被害程度及耐煙作物苗樹の種類等に付調査研究を行はしめ且つ植林をなさしめつゝあるが今日迄植付濟みの山林は百町歩にして、尚近き將來に於て三千町歩の植林を實施すべき計畫中也と。扨て右試作塲に於て調査の結果耐煙性ありと認めたる品種は左の如し。

耐煙品種
 禾本科類は一般に耐煙性に富むもの多し
  玉蜀黍、蜀黍、稗、粟、黍、就中小麦種最適
 同所試験奨勵品種
  小麦、□、白莢、富國、大麦、竹林、穂揃、□取、裸麦、コピン、於染、
  常州白稞、根菜及蔬菜
  甘藍、佛掌薯

尚同塲に於て調査の結果伊豆大島に於て硫黄分多き地上に野生したる櫻樹を抜來り鑛山中各所に移植したるに、毫も煙害を蒙ることなく益生長し當春既に花を着けたるものありたりと。右の外尚神峰絶頂に観測塲を設置し、昼夜風位氣候等を測定せしめ此等と煙害との關係を調査せしめ居れる由なり。

 日立鑛山に於いては實に各方面より煙害調査をなし其豫防に注意し居れる也。これ同鑛山が今日に至る迄幾多鑛山が經驗したるが如き苦き問題に□□□□る所以也。

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 ●日立鑛山(十四)

公溪生

   八、將來の希望

 以上十數回に渉り余輩が述べ來りたるが如く、日立鑛山は第一製錬亢鑛としては一方に於て同山の鑛量頗る豊富なるが上に其採掘法本末宜しきを得、而して他の一方に於て買鑛の搬送次第に増加の趨勢に向ひつゝあるが故に、軈て採掘設備の完成に依りて自山鑛採掘量増加すべく之と同時に平郡線及び岩越線の兩鐡道開通したる暁に於て岩越地方の亢鑛は續々として到來するに至るべく、第二に製錬の方法は歳月を經るに從ひ次第に熟達の域に向ひ、第三に職員以下労働者に對し相當なる待遇を與へ居り、第四に煙害豫防に對し常に周到なる注意を怠らざるが如く見受られ得るを以て、近き將來に於て一般鑛業界にあり勝ちなる鑛量の缺乏、鑛夫の不平、煙害問題の勃發等の慮決して之なかるべしと信ぜらるゝのみならず、同鑛山所在地は目下の所海運の便を缺き居れる短所あれども、東京横濱等の市塲を去ること左程遠からず、鐡道運輸の便自在なるが故に孟子の所謂天の時地の利及び人の和の三長所を倶備し、其の前途は頗る多望なりと云はざる可らず、而して同鑛山過去の實績は即ち余輩が本記事の冒頭に於て、我國の鑛業は十分なる資本と最新文明的科學とを應用せば十年を出でずして其収入を二倍三倍若くは十倍に達せしむることを得べしと述べたることの空想にあらざることを証明し居れるを以て、余輩は我鑛業界の前途に對し多大なる望みを嘱するもの也。

 余輩は日立鑛山の經營者たる久原氏とは一見の識な□□も同山は目下戸數三千、使役人員五千、其家族を合し一萬二千人を有し、今年度鑛産豫定額は一千三百萬圓に達すべき見込あり、假に之を昨大正元年度日本全國鑛産額一億三千萬圓に比するときは其一割に相當すべく、從うて我鑛業界に對し偉大なる勢力を有し、乃ち同山の一擧一動は全國鑛業界に影響を及すこと至大なりと信ず。故に久原氏はじめ同山の當業者が深く天の恵福の絶大なるを感謝し、益經營に注意を拂ひ全國鑛業家を指導して我國鑛業の發展に貢献し、進んで今日我國民擧つて憂慮しつゝある所の國患(財政難)を打破して將來大和民族の一大雄飛に資せらるゝと同時に、天の未だ陰雨せざるに先だち歐米の天地を震撼せしめつゝある所の資本主對労働者問題を研究し牖戸を綢繆して日本獨特の解決をなすことに努力せられんことを切望して止まざるもの也。(完)

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