海道と街道の表記

寛保御触書集成 道中之部 から

この触書から「街道」にかかわる名称をひろってみます。

街道はすべて海道と表記され、正徳2年4月には一つの文書の中で中仙道と中山道両様の表記がなされてます。そして

正徳6年(1716)4月の条

には次のようにあらわれます。

東山道・山陰道・山陽道の山は、漢音でなく古い呉音でセンと読むこと。中山道は東山道の中ほどを通っているので、中山道と言う。東海道・南海道・西海道はいづれも「海国」の道筋だから海道でよし。海のない下野と甲斐国に海道というのもふさわしくないので、日光道中・甲州道中と称する、というのです。

*五畿七道 律令制の国の上部に設定された地方行政上の地域区分。五畿は山城(京都府)、大和(奈良県)、摂津(大阪府・兵庫県)、河内(大阪府)、和泉(大阪府)の5か国。七道は、東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道をさす。

『諸国道中細見記』によれば

文政2年(1819)須原屋茂兵衛版の本書の見返しに「街道」の名称が次のように書き上げられています。

東海道・木曽海道・秋葉鳳来寺道・北国加賀道中・信州善光寺道・越前海道・伊勢参宮道・水戸海道・甲州海道・大坂道・江島鎌倉道・大山参詣道・紀州道・日光道中・長崎道

甲州海道は「甲州道中」と正徳6年に改められているのに「海道」のままです。どうしたことでしょう。公式上はそうであっても、百年たっても通称はなかなか改まらなかったということでしょう。『諸国道中細見記』は幕府の検閲を経ているはずです。幕府の役人は百年前の法令など忘れていたか、あえて現状を容認したか。いずれにしても庶民の感覚には「街道」はなかったことがわかります。(2013-06-25 追記)